June 5th, 2012

基礎代謝を増やしてやせるために効果的な筋トレは何でしょうか?

身体にはもっと大きな筋肉群があります。それは、下半身、特に臀部(でんぶ)から太ももにかけての筋肉群です。体重を支えてしゃがんだり立ち上がる動作を繰り返すと、大臀筋大腿四頭筋ハムストリングスといった「大物」の筋肉をはじめ、下半身じゅうの大小の筋肉群が総動員されます。当然、消費エネルギーも大きいです。下半身の筋肉群を鍛えて3割増できれば、基礎代謝にも大きく影響します

同じ筋肉量を増やすためにスクワットなら15回ですむのに、腹筋なんと500回。「腹筋500回=スクワット15回」なのです。

つまり、やせる筋トレにはスクワットこそがふさわしいんです。これは意外に感じられるかもしれません。「自宅での筋トレで、スクワットなんて軽々できるし、たいして疲れないし…。腕立て伏せ、腹筋運動の方がハードに疲れてトレーニングした気になるし、いかにもやせそうじゃないか」と。

冷静に考えると、脚・腰は自分の体重を支えて上下させても疲れ知らずな強い筋肉なのです。同じ負担が上半身にできるでしょうか? 体重と同等のバーベルをベンチプレスできる人は、相当のアスリートです(ちなみに私は倒立腕立て伏せ2回が限界です…)。

上半身や腹筋が疲れ切るほどのトレーニングをして鍛え上げても、消費カロリー量も基礎代謝増も期待できません。元々強い下半身をさらに鍛えるのが、やせやすい身体作りにはいちばん効率的なのです。


※5/23 12:20追記:スクワットは適切な方法で行わないと膝などを痛める可能性があります。pbmgoldさんIKIKAZEBOXINGさんの動画等を参考に、フォームに気をつけながら行うようにしてください。

June 4th, 2012
slowlydrifting:


Nastia irrr Sokolova

slowlydrifting:

Nastia irrr Sokolova

(via do-nothing)

June 2nd, 2012
May 25th, 2012
May 18th, 2012
May 11th, 2012
リボ払いの問題点は、高額商品を安く買った感覚で、気が付いた時には月々の元金の返済金額と利息分が同じという地獄状態に陥いることだ。
支払い情報は唯一の指定信用情報機関である「株式会社CIC」に集められている。
パフォーマンスというのは基本的に、100人の前でできれば1万人の前でもできますけど、1万人の前でできても、100人の前ではできないこともある。ローリング・ストーンズは大量動員のでっかいスタジアムでやりながら、同じツアーで必ずさびれた小さな小屋でも何回かやるでしょ? あれは彼らがそのことをわかっているから。原点を知ってるからなんですよ。芸事で一番難しいのは、1対1であってね。例えば僕があなたに1対1で歌って納得させるというのが一番難しい。もしそれができれば4万5千人の前でもできますよ。でも4万5千人を相手にやれても、1対1はやれない。それが芸事のもっとも重要な本質です。
May 9th, 2012

余談であるが、もしも仮にアカウントの乗っ取りなどのネット犯罪行為が日本国外のサーバーから行われていたとする。その場合、日本の警察は、基本的には何もできない。その国の警察と連携しなくては、何も手が出せないのである。

さらに連携するには様々な手続きが必要で、「よほどの大規模な犯罪でないと動けない」と、とある警察関係者は証言している。逆を言えば、海外サーバーさえかましてしまえば小さなネット犯罪し放題なのが今の日本の法律なのである。

1.自分にふさわしくない人たちと過ごすのをやめなさい。

2.自分の問題から逃げるのをやめなさい。

3.自分に嘘をつくのをやめなさい。

4.自分にとって大事な事を後回しにするのをやめなさい。

5.自分以外の誰かになろうとするのをやめなさい。

6,過去にしがみつくのをやめなさい。

7.ミスをするのを恐れることをやめなさい。

8.過去の間違いについて自分を非難するのをやめなさい。

9.幸福をお金で手に入れようとするのをやめなさい。

10.自分が幸せになるためだけに誰かを求めるのをやめなさい。

11.意味もなく怠けるのをやめなさい。

12.まだ準備ができていないと考えるのをやめなさい。

13.不適切な動機で人と関わるのをやめなさい。

14.過去にうまくいかなかったからという理由で新しい人間関係を拒絶するのをやめなさい。

15.他人と競争するのをやめなさい。

16.誰かに嫉妬するのをやめなさい。

17.泣き言を言ったりいじけるのをやめなさい。

18.根に持つのをやめなさい。

19.自分より低い誰かのレベルに合わせるのをやめなさい。

20.誰かに自分のことを説明して時間を浪費するのをやめなさい。

21.休憩なしで同じ事を何度もするのをやめなさい。

22.なにげないひとときの美しさを見落とすのをやめなさい。

23.完璧にやろうとするのをやめなさい。

24.安易な道を選ぶのをやめなさい。

25.物事がうまくいっていないときに問題ないふりをするのをやめなさい。

26.自分の苦しみを誰かのせいにするのをやめなさい。

27.八方美人になるのをやめなさい。

28.心配しすぎるのをやめなさい。

29.起きて欲しくないことに焦点を合わせるのをやめなさい。(起きて欲しいことに集中しなさい)

30.感謝の念を持たないのをやめなさい。

May 8th, 2012
私の友人は「斗」の字を名付けに使おうとしたら年配の親戚の方によくない字だと止められたそうです。
その話を聞くまでは私も男子の名として格好よい字だと思っていました。
挌闘家・魔裟斗さんや北斗の拳など強くりりしい印象があります。北斗七星のような輝きをと願うこともあると思います。

その時気になり角川書店の漢和辞典で調べたのですが。
「斗」には「少しの量」という意味があり、そこから転じて「つまらない人物」という意味がありました。
量りきれてしまう程度の人物ということになるのだと思います。
年配の方や国語に強い方だと気になるかもしれません。
この字の名付けに偏見はありません。
でも意味を知って、私はわざわざ自分の子に付けることはしないと思います。
1)高価な機材を使っているからと言って、腕のいいカメラマンとは限らない。
2)常にRAWで撮影すること。
3)単焦点レンズでの撮影は、腕磨きになる。
4)写真編集はそれだけで、1つのアートだと言える。
5)三分割法は99%の場合において効果的である。
6)マクロ写真は誰でもできるわけではない。
7)UVフィルターはレンズキャップの役割もある。
8)写真フォーラムなんかに何時間も行くよりは、外に出て写真を撮った方がいい。
9)平凡な日々の生活の中にある美しい一瞬を切り取ること。それが、入賞作品になる。
10)フィルムがデジタルより良いというわけではない。
11)デジタルがフィルムより良いというわけでもない。
12)魔法のカメラやレンズなんてものは存在しない。
13)良いレンズを使ったからと言って、良い写真が撮れるとは限らない。
14)他の人の作品を見続けるよりも、自分の写真を撮りに行くこと。
15)パーティーにデジタル一眼レフは持って行くな。
16)女はカメラマンに弱い。
17)写真を白黒にしたからといって、アーティスティックな感じになるわけではない。
18)Photoshop使ったというと、なぜか人は急にあなたの写真の価値を下げる。こういう時は、「Photoshop」ではなく「デジタル暗室」という言い方をすること。
19)何でもかんでも写真に撮れば良いというわけではない。
20)少なくとも2つバックアップをとっておくこと。戦争での、2は1、1は0という考え方と同じ。
21)ネックストラップはやめて、ハンドストラップを使うこと。
22)被写体に近づくこと。大抵の場合、その方がいい写真が撮れる。
23)撮影中はその場の一員となること。傍観者にはなるな。
24)かがむ等して目線を下げて写真を撮ること。大抵の場合、その方がより面白い写真が撮れる。
25)技術的な心配をするよりも、フレーミングや写真の構成に注視すること。
26)機材にあるロゴを黒いテープ等で隠してしまうこと。これによって自分があまり目立たなくなる。
27)明るい日中に撮影する場合は、常に露出少なめ、2/3程度で撮影すること。
28)撮れば撮るほど、上手くなる。
29)露出や、アングル、F値を変えて同じ場所で数枚撮影するのを恐れないこと。
30)ベストの1枚だけを人に見せること。
31)コンデジもカメラである。
32)オンラインの写真フォーラムに参加してみること。
33)他の人の作品を批評してみること。
34)撮る前によく考えること。
35)良い写真に説明はいらない。(しかし、時に背景にある情報が画に意味合いを持たせることはある。)
36)お酒と写真の相性は良くない。
37)他のカメラマンから影響を受けるのはいい。しかし、崇拝してはいけない。
38)粒子は美しい。
39)カメラ用バッグは捨てて、メッセンジャーバッグを使うこと。レンズやカメラが取り出しやすくなる。
40)シンプルさが鍵。
41)フォトグラフィーは、「光で描く」という意味。光を操ること。
42)自分のスタイルを見つけて、貫くこと。
43)セカンドモニターは便利。
44)Silver EFEX Proは最適の白黒加工ツール。
45)どこに行くにもカメラを持って行くこと。
46)写真が人生を楽しむ障害になってしまってはいけない。
47)カメラを過保護に扱ってはいけない。使い倒すこと。
48)ストレートフォトグラフィーを撮ること。
49)自信を持って撮影すること。
50)写真と並列配置の相性は抜群。
51)写真は大きくプリントすること。見てると嬉しくなる。
52)写真を友人にプレゼントすること。
53)写真を他人にもプレゼントすること。
54)フレームに入れるのも忘れずに。
55)コストコのプリントは安いけど、質が良い。
56)友達と出掛けて写真を撮ること。
57)写真クラブに参加すること、又は自分でクラブを始めること。
58)写真は素敵なプレゼントになる。
59)他人の写真を撮るのはスリルがある。
60)自然体>ポーズとる。
61)自然光は最高の照明。
62)35mmはベストなウォークアラウンド焦点距離。
63)必要があれば、ISOを上げるのを恐れないこと。
64)どこにでも三脚を持って行く必要はない。
65)露出高めよりも低めで撮影する方が良い。
66)ホームレスの人を撮影すればアートっぽいと思っているのは、実に利己的だ。
67)全く期待していない時ほど、シャッターチャンスはやってくるものだ。
68)人間が写っている写真の方がより面白みがある。
69)ダメな写真をいくらPhotoshopしたところで、いい画になるわけはない。
70)最近では、誰でもかれでもカメラマンである。
71)パリに行かないと良い写真が撮れない、なんてことはない。良い写真は裏庭でだって撮れる。
72)デジタル一眼でポートレートを撮影する時に、グリップが下を向いている人は馬鹿みたいに見える。
73)カメラは道具だ、オモチャではない。
74)構成という点において、写真と絵画に大きな違いはない。
75)写真は趣味ではない。ライフスタイルだ。
76)言い訳はなし。
77)オリジナルな写真を撮ること。他人のスタイルをマネしてはいけない。
78)良い写真とは、見る人がもっと聞きたくなるようなストーリーを持っているものだ。
79)黒以外のカメラは、人目を惹きすぎる。
80)機材を多く持ち歩けば持ち歩く程、写真を楽しむ余裕がなくなる。
81)上手い自画像を撮るのは、思っているよりも難しい。
82)笑わせることで、モデルの人柄を引き出せる。
83)撮影中に怪しい人と思われないように。周りの環境に馴染むこと。
84)風景写真は飽きる。
85)写真を撮っている時は、まず楽しむこと。
86)撮った写真は消さないこと。
87)人や場所を撮影する時は、敬意を表すること。
88)路上で自然に人々を撮影する場合は、望遠レンズよりも広角レンズを使うこと。
89)旅行と写真は、最高のカップル。
90)ヒストグラムの読み方は知っておくこと。
91)ノイズのある写真は、ボケ写真よりもマシである。
92)雨の中で写真を撮ることを怖がらないこと。
93)完璧な写真を撮ろうと必死になるよりも、その瞬間を楽しむこと。
94)お腹がすいている時は、写真をとらないこと。
95)写真を通して、自分を再発見することは多い。
96)写真で得たインサイトを秘密にせずに、世界と共有すること。
97)写真を撮るのをやめないこと。
98)写真はただ単純に写真を撮るだけではない。人生における哲学である。
99)決定的な瞬間を切り取ること。
100)自分自身の写真ティップスリストを書くこと。
May 3rd, 2012

俺、老人苦手。

「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。

老人慣れしてるヤツってスゴイ。

電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。

年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。

敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。

胃が痛くなる。

親がいなくなると、話題ゼロ。

田舎帰るの嫌い。

で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。

高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。

ところが、

去年、じいちゃんが死んだ。

葬式はさすがに帰省。

正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。

ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。

それから一年。

親父がいきなり

「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」

発言。

いやいやいやいや、ないないない。

とか、とても言えない。

親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を繰り返していて、

一人で暮らしていくのは厳しいと医者から言われたらしい。

いや、うん、でも、えーと。

俺だけではなく、何となくどんよりとした空気が家族に流れる。

誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。

母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。

妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。

で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京の我が家に越してきた。

母さん余所行きの笑顔。

妹、部屋から出てこない。

俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。

福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、ばあちゃん、変な自転車持ってくる。六蔵って書いてある。

すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔。

そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。

母さんと気の使い合い。

たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。

家でリラックスできない。

ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。

2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。

入院してた病院の看護婦さんかららしい。

その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、

手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。

じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、

ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、

「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。

 もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

 死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」

と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。

10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、

あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。

その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。

「自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」

ユウちゃんは、俺。

ばあちゃんは90オーバー。

さすがに止めた。

ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ。

先月まで、病院でリハビリとかしてた人。

家族、総出で止めた。

全然、折れない。唯一の戦前生まれ。

朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。

あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、ほんとに困るからね!」と小声で念押し。

その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。

話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。

敬語。目、合わせない感じ。

やや呆れ気味で、練習開始。

はっきり言って、全然乗れない。

足をペダルに乗せる段階から無理。

跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。

ペダル漕ぐとか、全然別の次元。

二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。

毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。

「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」

「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」

そればっか。

じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。

三日目にして、俺ギブアップ。

買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、先に帰ってくる。

んで、気付いた。

サドル高すぎ。

油をさして、錆びだらけの自転車のサドルを一番低くする。

翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。

「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」

拝まれる。

でも90歳のバランス感覚は風前のともしび。

漕ぐとか本当、別次元。

なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。

俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。

全身筋肉痛。

この頃になると、帰り道は第二次世界大戦話。

空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、自転車くらい乗れる気がしてくる。

10日する頃には、どうにか漕いでる。

ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。ふらふらなんてもんじゃない。ドリフだ。

で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、

支えてたけど、二人で転んでしまった。

ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。

血が出てる。

死んだんじゃないかって本気で思った。

救急車呼ぼうかと思った。

ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。

俺、さすがにショック。

ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。

家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。

その日の夕飯、ばあちゃんが話す。

じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。

それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、そんなじいちゃんをよく見てたこと。

六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。

そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って「みんなも元気で」って

町のみんなに手紙を書きたかった、と。

福島で生まれて、福島で生きてきた。

90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。

「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」

と言う。

次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。

洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。

すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。

「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!

 もう一回乗ってみろ!」

親父、補助輪買ってきた。

それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターをばあちゃんに渡した。

母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。

バカ家族。

それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園。

公園で自転車の練習。

そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。

それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、息を切らせて公園に戻ってきた。

「ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。

で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、

90歳のはじめての自転車を撮影。

公園の端から端。

「ばあちゃん、手離すよ!行け!」

ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。

ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。

「行けっ!行けっ!」

「いいぞっ!いいぞっ!」

ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。

親父の声も、裏返ってる。

20メートルくらい、新記録を漕いだ。

すげえ。すごい。すごい!

親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。

俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、

目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、もう たまらなくなってしまった。

骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。

あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。

なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。

ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。

その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、とても見れたもんじゃなかった。

親父、感動しすぎ。

もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。

仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。

それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。

もっと一緒に暮らしましょうよ。

もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

もっと一緒にいたいですよ。

ずっと一緒ですよ。

を体現してるみたいに。

May 2nd, 2012
netgeek:

サイゴンの路上で処刑されるベトコンの有名な写真がある。ベトコン兵士に向かって無表情に拳銃を撃ったのは、サイゴン警察長官のグエン・ゴク・ロアンであり、撃たれたベトコンはグエン・バン・レムという名の将校だった。皮肉なことに二人ともが同じグエンという名であった。この惨い写真が報道されることによって、ソンミ村同様に、アメリカ国内でベトナム戦争の反対意見が盛り上がった。その意味では処刑されたグエンの死も無意味とはならなかったが、実はそのグエンは、捕まって処刑される数時間前には、警察長官のグエンの側近とその家族を皆殺しにしていたのだった。だから警察長官はベトコンであるための処刑と、個人的な報復の二重の意味で、彼を殺したのであった。
この写真だけを見れば、なんて残酷で非道なことだと思うが、その背景を知ればまた考え方が変わってくる。いずれにしても戦争に正義も不正義もないということだ。なまじ正義を唱えている方が胡散臭く感じる。それにしてもインパクトの大きな写真だ。しかしこの写真だけで誤魔化されてはならない。写真は往々にして間違った印象を見る者に与えることがあることを注意しなくてはならない。
(via http://www5.ocn.ne.jp/~kunisada/2006.10.12.html)

netgeek:

サイゴンの路上で処刑されるベトコンの有名な写真がある。ベトコン兵士に向かって無表情に拳銃を撃ったのは、サイゴン警察長官のグエン・ゴク・ロアンであり、撃たれたベトコンはグエン・バン・レムという名の将校だった。皮肉なことに二人ともが同じグエンという名であった。この惨い写真が報道されることによって、ソンミ村同様に、アメリカ国内でベトナム戦争の反対意見が盛り上がった。その意味では処刑されたグエンの死も無意味とはならなかったが、実はそのグエンは、捕まって処刑される数時間前には、警察長官のグエンの側近とその家族を皆殺しにしていたのだった。だから警察長官はベトコンであるための処刑と、個人的な報復の二重の意味で、彼を殺したのであった。

この写真だけを見れば、なんて残酷で非道なことだと思うが、その背景を知ればまた考え方が変わってくる。いずれにしても戦争に正義も不正義もないということだ。なまじ正義を唱えている方が胡散臭く感じる。それにしてもインパクトの大きな写真だ。しかしこの写真だけで誤魔化されてはならない。写真は往々にして間違った印象を見る者に与えることがあることを注意しなくてはならない。

(via http://www5.ocn.ne.jp/~kunisada/2006.10.12.html)

(via 9221)